ニュー裏モノ探検隊:一風堂

日本フーゾク。たいちょうのひとりごと

今里のBBAが良かった話+α

 

超高級ソープからの大阪でBBAに中出しの話である。

ところが始まりは非常に暗い。

 

 

どうも、隊長です。

 

忘れもしない今年(2023年1月3日)夜の23時半ごろ携帯が鳴った。知らない番号だ。出るかボケ。3回ぐらい鳴ってすぐに切れた。正月早々なんやねん。と、思っていたらその10分後に姉から着信があった。嫌な予感がする。

『大阪の叔父が亡くなった』

えっ、つい10日前に電話で話したばかりなのだが、、どうやら知らない番号は叔母さんの携帯だったようだ。叔母さんは混乱と怒りで錯乱していて話が分かるまで姉も時間を要したようだ。「死因は?」「コロナだって」「は?」

以下要約と補足。

 

叔父さんは結婚と同時に奈良へ引っ越した。ぼくはこの叔父さんに大変可愛がってもらっていて育った。結婚式に参加して号泣した記憶がある。叔父さんは体が弱く国立大出のインテリだったが体の弱さゆえになかなか就職できず家庭塾などで生計を立てていた。ぼくもその生徒のひとりでもあった。叔父さんの指導むなしく賢くはなれなかったけどね。で、叔父さんはあんま働いてないから幼いぼくたち姉弟ととにかく遊んでくれた。おばぁちゃんが亡くなったときに『死』という物の大切さを教えてくれたのも彼だ。働けるようにはなったが叔父さんの体の弱さはずっと続く。より病院に通いやすくするために叔父さん夫婦は20年ぐらい前に難波のタワマンの17階を買った。(当時2000万ぐらい)

叔父さんは難波から梅田まであの人ごみのなか電車で病院に通っていたのだが2022年の年末にコロナ陽性が出てしまった(無症状)その時の大阪はコロナ患者が異常に多く、すぐに西成の専用の隔離病棟に移った。で、その4日後である。夜の8時に叔母さんと携帯で元気に喋り、その1時間後に病院から「心臓が止まり、死亡が確認されました」という連絡が入る。は?叔母さん病院で大暴れです。納得のいきようがない。そりゃそうです。

ぼくはすぐにでも駆け付けたい。

でも、叔母さんに「来るな」と言われた。叔母さんいわく、あなたたちは今の大阪のコロナの状況を知らない。本当にひどいから、お願いだから来ないで。火葬も死人が多すぎて(正月もあるが)14日後だという。は?14日後?

それまで冷蔵保存で1日1万円ぐらいかかるらしいけど金は良いとして火葬待ちで14日後?難波はどんな事になっとるんや。葬儀もやらないし、坊さんも呼ばないとのことだった。

 

 

ぼくは数日後大阪へ行った。来るな、と言われても居てもたっても居られなくなってしまったのだ。別に叔父さんに会える訳ではない。それは分かっている。叔母さんに挨拶もしない。でも『叔父さんの居る大阪へ行く』という事が重要だとぼくは考えた。

 

ぼくは大阪に着くと過去に叔父さんに連れて行ってもらった場所を巡った。場所は割愛する。ぼくは歩きながら思う。ああ叔父さんは大阪に文字通り骨を埋める覚悟だったんだな、と。

 

 

その後、気が付くとぼくは今里に居た。(なんでやねん)ぼくは叔父さんから生きる事の楽しさ、食事が出来る事の素晴らしさを学んだからだ。「ぼくはね、長生きしたいんだ。食べる事が大好きだ。仏になったらご飯は食べられないからね」彼の言葉であり死生観だ。正直誰がどうみても叔父さんは体が弱く大変な人生を歩んで見えたが楽しそうだった。だからぼくは今里へ来たのだ。Σ(゚Д゚)カンケーネー

 

まぁいいや、供養の考え方は人それぞれだ。

「あー兄ちゃん、明けましておめでとうさん」(やり手)

「あ、はい(´・ω・`)」たいちょ

今現在全然めでたくないのよね。めでたいのはアタマだけです。

「どんな子が良い?」(やり手)

『BBAをひとつくださいな( *´艸`)』たいちょ

そんな事は言ってませんがまぁ要約するとそんなオーダーでした。

前回の高級ソープの2連荘で『もう若い子はええわ』という気分でした。

 

部屋で待つとおてもやんみたいな厚化粧のBBAが現れた。(・∀・)イイネ!!

まぁ早速始めるんですが脱いだら『アソコに毛がある』それに感動した。いや本来は当たり前の事なんですけどね。ああ生きてるって素晴らしい。

「ゴムは?」BBA

「着けぬ。要らぬ。顧みぬ」たいちょ

 

和室にせんべい布団。部屋を暗くしてもらった。豆電球だけ。別にBBAだからじゃないよ。暗い部屋でするのが好きです。なんかすっごく良かった。ああ生きてるって素晴らしい。

 

最後に結構話をした。(時間が余ったんじゃボケィ)

「コロナなった?」たいちょ

「それがなってないの。他はバタバタなったけどね」BBA

「わいもです」たいちょ( *´艸`)

「大阪ってね、凄いんだよ。吉村さんがすぐに西成に専用の病棟作ってね、すごく頑張って抑えてんの」BBA

「お、おう。そうだな(´・ω・`)、、、」たいちょ

 

それで叔父さんも西成の病棟だった訳か、、

維新の大阪の支持率はやはり高い事も垣間見える。西成。。西成か。。

 

 

さて、タイマッサージでも行くか。(なんでそうなるんだよ)

すでに時間は夜の10時。予約を入れると日本語がままならないタイ人が電話に出た。なんか良く分かんなかったけど「早く来い」みたいな事だった。ぼくはタイ古式マッサージが好きなのです。50肩もまだ完治してないし。

店に着くと日本語のままならん人が言った。「さっき言タケドもうワタシ帰るダカラ40分ネ」「あ、はい(´・ω・`)」全裸になれと言われる。ん?全裸?ぼくの知ってるタイ古式はマッサージ服に着替えるのだが、、部屋を暗くされ、おもむろにバスタオルを剝がされると乳首をシャカシャカされた。ん?シャカシャカ?

両手になんかビニールの手袋してる。。ていうかなぜ乳首を触るのだ?なぜ仰向けからマッサージが始まるのだ?ちなみにビニール手袋は医療用のではなくていわゆるサラダバーとかにあるアレだ。薄くて固いやつだ。次にローションを垂らしてチンコとタマキンをシャカシャカ揉みだした。は?ここでぼくはやっと気づいた。ここ、いかがわしい店やないか!するとタイ嬢はおもむろにアナルに指を突っ込んだ。えぇっ?ガシガシとアナルを責められるわい。チョマテヨ。わいの中のキムキム兄さんが叫ぶ。が、タイ嬢は苦しむわいを見て『喜んでる』と思っている。さらにわいのチンコをしごく。それも高速で。ヘルプミー。いや勃起してんのよ、まだ勃起薬が効いてるから。でもね、さっき今里で生で柔らかい感触を味わったあとなのね。しかもこのローションは滑りが悪いやつです。気持ち良かろう訳もなくイケる訳がない。で、粗悪なビニール製の手袋付き。チンコが、、わいのチンコが(´;ω;`)

 

「ごめんなさい。マッサージしてくれませんか」たいちょ

このセリフを3回は言ったんです。でも上記の行為をマッサージだと思っている嬢は止めない。アナルに指を入れられガシガシされながらチンコをシャカシャカが続く。何しろ勃起しちゃってるわいが悪いのです(´;ω;`)

 

30分は続いただろうか自分の肩をタップして「マッサージー(´;ω;`)」と叫ぶ。やっと起こしてもらって、軽く本物のマッサージっぽいのしてもらい終了。泣きながら宿に帰りました。ああわいは大阪に何しに来たんだっけ?

 

ちなみにその後チンコは赤く腫れ(ていうか亀頭が一皮めくれた)アナルは疼き10日ほどチンコは使い物になりませんでした。ああわいは大阪に何しに来たんだっけ?

 

まぁいいか。(良くねぇだろ)

 

何しろこのタイマッサージのせいで余計に今里のBBAが美化されてる点は否めません。ちなみにタイマッサージはBBAを超えてOBA(オバァ)です。本当にありがとうございました(´・ω・`)

 

宿に帰り眠る前に思う。

 

西成というワードがやたら出てきたな。

西成。西成か。。

 

でわまた。。

 

PS.病院から出た叔父さんの死亡診断書には『敗血症』と、ありました。いやコロナ死やん。たぶんコロナが原因だといろいろマズイのだと想像します。だからコロナポジティブの人が亡くなっても色んな理由つけているのでしょう。なので発表されてきたコロナによる死者数はデタラメだと思います。おそらくもっと、もっとはるかに多い。重ねて言いますがこれはまだ今年の話ですからね。

 

本当に生きてるって素晴らしい事です。

 

それにしても、、、

 

西成。西成か。。

 


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タイマッサージのOBAが着けてたのはまさにこれですね。

いやぁ感染対策ばっちしだね(´;ω;`)

 

 

次回予告「釜ヶ崎の泥棒市2023年」

 

 

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